#1 ブログはじめました

株式会社情景、代表の村井勘彌です。

今日、2021年12月28日で40歳になりました。
皆さん毎日楽しいですか。僕は楽しくないです。

人生のどこを切り取ってもあまり元気はないので相変わらずという感じかもしれないけど、とてもネガティブな状況かと言われると、よく40歳まで生きてたねという感じかと思うので、基準がどこかという話ではある。

自分のことを、この文章で初めて知る人もいれば、アルバイトをしながらバンドやブランドをやっていた人と思う人もいれば、開発会社やサービス企業でエンジニア兼マネージャーをやっていたと思う人もいれば、経営者だと思っている人もいれば、Webサービスの発案者だと思っている人もいれば、その日々の途中で出会い、その後なにをしているかは知らないという人もいるだろうし、自由に発言できない場所で出会い、こんな人だったんだと初めて知る人もいるかも知れない。

基本的になにを考えているかわからないと言われる方なので、色々聞かれはするんだけど、さほど興味があるわけじゃない人もいるだろうし、思考の深さや経験、理解力や精神レベルなどによって必要な説明量も変わってくるし、自分の感じた幸せが皆の幸せだと信じてやまない人や、皆が自分中心に生きていると信じてやまない人や、他者も自分に近い感覚や価値観の上で生きてると信じてやまない人もいるし、同調が欲しいだけだったり、思い通りに動いてほしいだけで話を聞きたいと思っているわけではない人もいれば、言葉や行為に対して無条件によくない事と決め付けてしまっている人もいるし、なかなか聞かれた所で安易に説明するのも難しかったりする。

特別わかってもらいたい気持ちもないので、まぁ、その解釈でいいかと思って説明を終えてしまうことが多いけど、一方的に書く文章なら読むも読まないも自由だしアウトプットしてみようと思う。

実際、日常会話で回答に許されている尺なんてそんなに長くはないし、だったら、こうやってアウトプットすればいいのかというと、この「思ったことを自由に発言できる状況」を持つこと自体、実はなかなか今の社会では難しく、なにかを捨てたり、なにかを掴んだり、ある程度の覚悟を越えた特殊な人生を歩んでいないと、得られないものだったりする。

特別なにか輝かしい報告があるわけでもないけど、ちょうど40歳なので、現時点で思うことみたいなのを書いてみようと思う。もしかしたら、個の考えが他の否定に聞こえる言い回しがあるかもしれないけど、色んな人が居て、それぞれの正解の中で好きに生きれば良いと思うし、僕が一般的な正解である可能性はない。ただ、もし一部の変わった人のなにか参考になることがあったりしたら、それはうれしいかな。

あまり心が安定せず、だれとも連絡をとっていないけど、多分、あなたが僕のことを嫌いな可能性はあっても、僕はあなたのことを嫌いではないので、もし気になっていたら安心してください。いつも連絡薄くてごめんなさい。この人生のどこかで出会い、僕が上手く関われず傷つけてしまった人だったらごめんなさい。なにか気になってこの文章を読むことになってくれたなら心からありがとう。もし、僕が昔居たシーンや組織の人だったら、自分が距離を置いてしまう理由は、思いが深すぎて感情の折り合いが今もつかないってだけなので、申し訳ない気持ちでいっぱいです。いつも声を掛けてくれてありがとう。

でも、もし、この日々の中で傷つけてしまった人が居たとしても「そこまで本気の思いがあったのなら」と思える振る舞いをし続ける事は、関わった人の自己否定にはならず、あの人が異常だったんだと思わせられる最低限の償いになるのかなと思います。

どうしても全員助けたかったり、どうしても全部は掴めない無力な時があったり、どうしても言えないことがあったり、怒ってでも伝えたい未来があったり、僕の能力では通常通りの対応で乗り越える方法がなかった時はあるけど、多分、その瞬間の出来事を僕は今も忘れていないし、遠い昔の事であってもあの時どうすればよかったかは今も考えています。ただただ、無力だっただけなのに、後から謝ったり、罪を緩和させる説明をしたりすることすらもズルいと思っている所があって、上手くいかなかったなら、自分がその嫌悪感や否定を一心に受け取るべきだと思ってる所がある。

ただ、一方で、自分がこうやってなんでも自責的に考え、人を悪く思わないから、人に悪く思われることを想定するのが苦手なんじゃないかと思う時はよくある。

一応、僕は今も夢を忘れたわけでも、見失ったわけでも、諦めたわけでも、逃げたわけでもなく、なにも変わらず夢の途中に居ます。なので大人になったり月日を重ねたことで思い出話の様に話すことは今もできないし、もしかしたら永遠に話せないかも知れない。もしなにかを達成した所で「大したことじゃなかった、簡単だった、またつまらなくなった」と永遠に思ってしまうだけなので、自分の場合「なにかを目指してる途中の状態」が「夢が叶っている状態」なんだと思う。

僕の夢は、ずっと変わらない。「自分のような人に手を伸ばせるようになること」。ただ、それは「希望の塊」かと言われると「絶望の塊」と言った方が近い気はする。「夢」と表現すると綺麗なものだけど、正確に言うと「生きる意味が感じられない人の言い訳」というか「折り合いをつけた」というか「死ぬわけにもいかないから無理やりひねり出した人生の目的」という感じかと思う。

あんまり言うべきではないけど、より本音っぽい言葉でいうと「なんで生きてるんだろう、この毎日になんの意味があるのだろう、死ぬのも大変だしなにかしないといけない、生きるにはお金が必要なのか、やりたいことなんかない、だれか助けて、誰も居ない、自分がなろう」といった感じかと思う。

夢の途中と言っても、想像される感じの諦めない強さや、前を向く強さや、負けずに戦い続けるような力強いものは持っておらず「諦められない弱さ、諦める怖さ、失う怖さを強く持っている」と表現した方が実態に近い。それがないと何もなくなってしまいそうというか、目標なく生きる方法を多分僕は知らない。もちろん弱いままで良いとは思っていないので、強くありたいという気持ちはあるけど、今の所、かろうじて生きている僕の毎日を、素直に表現するとそういう感じだ。

正直、漠然と自分には40歳なんてこないんじゃないかなって思ってた。一方で、その年齢に辿り着けるのであれば、どこかで突然変異して普通の幸せな家庭を持ったりして、自分以外の未来や他愛もない日々を笑っているんじゃないかと思っていたけど、あいにくそのどちらでもない。

一般的に「通常を0として100にする事」を夢と表現するのだとしたら、自分は「通常が-100で0にする事」を夢と表現してしまっているのかもしれない。「逃げたわけでもなく」と表現したけど「夢を諦めるという行為から今日も逃げている」と表現すべきかもしれない。自分自身でもまさか、今も夢の途中というか、その「-100〜0の間の苦しみの中」というか、その絶望の中でぎりぎり生きている感覚が今日まで続いているとは思わなかった。もしかしたら、皆さんから見える暗い-50の世界は、僕が-100から必死で50上がった「夢のような-50の世界」なのかもしれない。

多分、始めは幼少期の「この毎日は一体なんなんだろう」という感覚から始まっているように思う。物心付いた頃には、朝起きて毎日同じ場所に向かい、同じ年齢の同じ様な格好をした人たちが集まっていて、特定の大人の指示のもと決められたことをする毎日。掛け算を呪文の様な言い方で言わされたりする行為や、なんの疑問も持たず、それを黙々とやる周囲にカルト教団を見るような違和感を持っていた。

本来、選んだわけではない場所に突然連れてこられて、選んだわけでもない行為を集団で毎日やらされると、大半が拒否反応を示す事が自然のように感じるが、そんな事を考えている人は見当たらず、少し声を上げるとそんな事を言っている自分が特殊のような扱いで、「なぜやるのか」の説明は受けられず、いつだって「なぜやらないのか」を問い詰められることしかなかった。

いつからだろうと考えても、そうでない時間の記憶がないので「物心付いた時から」と思っているが、両親に言わせると物心付く前から嫌がっていたみたいだから、自分が思っているよりも「思考」というより「本能」に近い部分で、なにかズレみたいな物があるのかも知れない。

仮にそう思ったとしても「嫌なことはやらなければいい」わけだが、知っての通りそれは許されていない。

「この毎日は断れない、国が決めた義務である」

なんか、このあたりから苦しみに変わり始めたんじゃないかな。断れない状況である事に気づくと「そもそも、どういう経緯でそうなったのか」を考えるけど、別に国が国民に拷問を敷いているわけではなく、この先の人生が困らないようにする為の義務教育である。義務である理由は「お金を稼げる状態にしてあげないと困るから」という思いやりや優しさであり、もっと元を辿ると、

「この世界は、お金がないと食べれなくて、寝る場所も確保できない」

という状態がベースにある。一部、生まれた時点で一生分のお金がある人も居るだろうけど、あいにく、そういう生まれでもない。このあたりから「一番意識したくない物がお金」で「一番考えている物がお金」という矛盾の毎日になったような気がする。そうなると嫌でも「今後どうするか」を考えるざるを得ないけど、冷静に考えると実はさほど選択肢はない。

・学生生活を続け、その経歴を持ち、どこかに勤めて生活する
・スポーツで全国のトップクラスに入りそれで生活する
・芸術や芸能で全国のトップクラスに入りそれで生活する
・暴力団や刑務所に入るなど法に反して生活する
・後先考えず家に居て生活する
・死ぬ

幼少期に思いつくレベルでは、正直、大きくこの6つくらいしかないけど、後半の3つは選択肢とは到底言えないような内容なので、ほぼ3つだろう。実際はそれ以外もあるんだけど、それ以外が具体的に選択肢としてイメージできるようになるのは、義務教育を終えてからかな。少なくとも自分の知性ではそうだった。ただ、それでも増えるのは「個人事業、経営、投資」あとは「生活保護」多分これくらいじゃないかな。

ちなみに変に共感される時があるのでいっておくと、こんなんだからといって、とくに学校教育やサラリーマンに対する否定や反発を持っていたりはしない。よくある満員電車に揺られる人を否定する話は、がんばっている人の事を外野が自分の立ち位置を示す為だけに否定しているような気がしてあまり好きではないし、むしろ僕はそういう大多数の人の感覚や人生に憧れている。

あまり自分が思ったことに対して、自分が正しい、皆そうすべきだ、という感覚も持っていないので、自分が正しいと叫び、他の承認を得たいと思うような感情も、わかってもらいたいというような気持ちもない。その場に居たくない事や、やりたくないことは沢山あるけど、だからといって、その場にいる人が間違っているとも、変わってもらいたいとも思うことはない。正解が多数決ならシンプルに不正解は自分だ。もしそれを責められるなら心から申し訳ない。僕もみんなと同じがよかったし、そんなみんなが心からうらやましい。

ただ、集団の中にいる時は「もし同じ様に思う人が居たら同じだと気付いてもらえるような振る舞いをしよう」とは強く思う。「嫌がる人が多いことは正しくないこと」という多数決的な考えで生きている人にとっては大分謎な行動だろうし、組織などで意識統一したい人にとっては、それが迷惑な振る舞いでしかないことは自覚している。そもそも、そういう振る舞いを「自分の作った場所」ではない所でやっている事自体、間違いなので、その分、人の倍の成果を出すようにはしているけど、だからといって人は相殺して捉えてくれたりはしない。結果はいいけど惜しい人と思う人が大半だろう。

また、上の立場になることや勝ちたい気持ちがあまりなく平等を望んでいるとしても、実際、平等を選んだり、上下関係を無くしたり、新たなルールを生み出し形成できるのは上に立つ人だけだから、結果的にリーダー肌ではなくとも勝ち気でなくとも、なにかを守りたかったり誰かを守りたかったら上を目指さざるを得ないときは度々ある。

その中で精神的な痛みを強く感じたり、耐えられずのたうち回る事はあるけど、病院や薬に助けてもらおうと思ったことはないし、友人や異性と会うことで忘れたり、お酒を飲んで忘れたりするようなこともあまり好きではないし、それで忘れられるレベルの思いではない。テレビやゲームのような気付いたら時間が過ぎているものもあまり好きではないし、写真で見れる建造物をあえて時間やお金を掛けて実物を見に行きたいとも思わない。多分、やれば多少気持ちが緩和させられるんだと思うけど、痛み止めでしかないというか、永遠には続かないような気がして、取り返しのつかない時間を消費してしまっている気分になる。いつか、そんな他愛もない日々を笑えるようになりたい。

あと、脳が一般的な発達を遂げてるかはわからないが何かの診断を受けたこともないし、仮に何かそういう定義された特異性が自分にあったとしても、それに気付けたことでほっとしたり楽になるような感情もない。幼少期の家庭環境が複雑でもなければ、生まれた事を恨んでもないし、両親は世界で一番優しい人だと思ってる。なにかを恨む気持ちもあまり他者や自己を否定する気持ちもない。この全ては「ただの事実」だ。

あえていうなら、こんな世界で生きる中でも自分が自分であり自分の環境で育ったことは、かろうじてありがたいというか恵まれているというか良かったと思っている方だと思う。ただ、それも「否定という活力あふれる行為ができるほど元気がない」というだけかも知れないのでわからない。

だったら、明るく生きれたらよかったんだけど、単純に「目の前の事実の把握」と「今後どうするか」を生きる為に必要だから考えているという感じで、もしかしたら、これがネガティブでポジティブで、どちらの人と話しても共感しづらい自分のわけのわからない所かもしれないけど、死ぬほどネガティブに生きる人と同等の「つかれた」と、輝かしいほどポジティブに生きる人と同等の「どうにかしよう」が共存している。「どうしてそんなにがんばれるのか」の理由は、「すごく嫌なことがあるから必死でどうにかしようとしている」ってだけなんだ。なんでそんなに嫌なのかは正直わからない。そもそも自分がなんでここに居るのかだってわかってる人なんて居ないだろう。

それは思考が原因論か目的論かの違いみたいな話があるけど、それを考える行為すらも原因論な気がするというか「今後どうするか」の為に必要な「なぜこうなったのか」を知りたい時はあっても、基本的に「現状把握とどうする」以外に興味がない。ただ、これも効率的な考えとか合理的な考えとかそういった誇れるものではなく「今にも谷底に落ちそうになってる時に、解決の役に立たない原因なんてどうでもいいし、それで安心できるわけもない」というだけな気がする。今にも谷底に落ちそうな人が「そうか自分はみんなと違って谷底に落ちそうだったんだ、知れたことにほっとした」なんてことはないと思う。

こういう感じだと幼少期は学校とかが肌には合わなくて、気付いたら学校の真面目ではない友達と遊ぶ事が多かったり、なんとか光を求めてアンダーグラウンドな音楽のシーンに飛び込んだりもするが、よく聞くサクセスストーリーのように、そこで今まで感じたことのない果てなき自由を感じたりもできていない。結局、そこにはそこのルールがあり先人が居て常識があり、同調があり、上下関係があり、多数決からくる圧力があり、礼儀がある。むしろ「これじゃ学校と同じじゃないか」という気持ちの方が強かったかも知れない。

多分、それは各ジャンルの音楽シーンも、企業も、芸能界も、あまり知らないがおそらく暴走族でも、ギャングでも、チーマーでも、暴力団でも、多分変わらない。真面目に排除された不真面目が、不真面目で集まって真面目を排除してたら、それはただの色違いの同じ行為だろう。絶対Aも絶対Bも全く同じだし、どちらも正しいという意見も大体同じだ。それを言うなら、絶対Aでも、絶対Bでも、どっちも正解でも、どっちも間違いでも、どれでも正しいと言うべきだし、割れてる時点で、別にどれも正しくはない。あなたがそう思うってだけで、あとは正解の定義に多数決を持ってきたってだけだし、割れている状況で考えるべき事は何が正しいかではなく、どうするかだと思う。ただ、冷静に考えると「すでにある特定のシーン」に飛び込んでるんだから、違和感があるのは当然の事である。そこは僕が作った世界ではないから、そこを作った人達の自由であり、その場所への違和感を持つ自分が間違いでしかない。

多分、挨拶があったとかなかったとか、あいつは偉そうだとか偉そうじゃないとか、敬語を使ったか使ってないかとか、先輩だとか後輩だとか、先輩後輩は年齢だとか入った順だとか、腕を組んだとか足を組んだとか、座席が奥か手前かとか、そういった事もだれかが幸せなんだろう。そういう感度が自分には一切ないので、なにが気に入らないのか想像ができず苦手な所がある。こっちの配慮が足りないのか、そっちが苛立ちやすいだけなのかは、ただの多数決だから。そして、大体みんな似たような事を言ってるから、その多数決か声の大きさによって、こっちの配慮が足りないということは確定している。ただ、そうなると最も苛立ちやすい人が、もっとも配慮が上手く、優しい人のようになってしまうけどそれでいいのかな。

結局、音楽をやっていてもレーベルとかに所属するのもあんまりで、自分でフライヤーやCDを作って、ライブハウスやCDショップやデザイナーさんや雑誌社とやり取りしたり、その活動の為にアルバイトをしたりしていると、成人になった頃には、少しだけ芸能界の入り口も見えて、この世界や経済の構造や商流にも多少気づき始め、憧れた人たちも何かしらの傘下に居たり、企業の利益を出す為に契約し、利益を出すためのルーチンの中で活動しているという状況を知った。

意識的に理解している人は少ないかも知れないけど、メジャーになって楽曲の質が変わってくるのは、有名になったからというより、唐突にリリーススパンが短くなるあの現象が原因である可能性は高い様に思う。頻繁なリリースや期限に迫られた作品じゃなくて、頻度は少なくて良いので何度もライブを重ねて試行錯誤の果てに拘り抜いて録音した音源が聞きたい。フルアルバムは曲が多すぎるように思う。ただ、それもビジネスだから。成立させないといけない。

売れるのは一握りというけど、実際、拘りすぎて長期間アルバムを出さないだとか、番組の構成も自分で考えているとか、そんな自由にやれているのは、売れた一握りの人の中でさらにほんの一部なんだと思う。自分は憧れたアーティストの二番煎じになりたかったわけでも、売れればなんでもよかったわけでもなく、その稀なアーティストのように拘りを持って自由に振る舞い、それを一生の仕事にしている姿に憧れていた。

多分、そのクラスになると、センスか、技術か、カリスマ性か、人間性か、容姿か、頭脳か、運か、話術か、人脈かとか、多分もうそういう話ではなく、全てを持っているように思う。それは思っていた以上に、努力とか頑張りとか諦めない気持ちとかそういうので越えられたり、時代の流れで世代交代できるようなものではなかった。

綺麗に耕してもらった道を歩く事に憧れていたわけではないし、同じことをした所で、同じ場所には辿り着かない。今となっては、自分が憧れた人達がどこまで自由だったのかすらわからないが、多分、自分が憧れていたのは「自分が描く理想をゼロから自由に生み出せる場所に立つこと」だったのだろう。ただ、その時、あるものを全てかき集めて、全ての時間をかける覚悟で考えても、そんなことができる力は自分にはなかった。

そして、悲しくも嬉しくも幼少期に憧れた芸能界のスターは、今もなにも変わらず最前線で活躍している。

結局、探しても居場所は見つからない、ゼロから世界を作れる能力もない。20代半ばに近づいた頃には、もう、ただただ耐えられない嫌なことと、自分にはできないことの2つだけがあるような感覚だった。目の前にあるのは汚い扉と重い扉の2つ、重い扉は努力しても開けられない可能性があるけど、汚い扉は我慢すれば開けられる。重い扉を開けようとしないなら汚い扉を開けるしかない。この世界は止まってたら「寝る場所も食べることもできなくなるルール」だから。

はじめての実態把握というか、この世界の仕組みをある程度理解し、色々もがき考えてみたはものの、もうどうしようもなくて、徐々に生活もできなくなっていた僕は、これまでのような「資金目的と割り切った仕事」とかではなく、生まれてはじめて普通に仕事を探すことになった。

そこからは、もう意識朦朧としながら面接を受けて、戦いに破れた武士の様に、髪を切ったり、髭を剃ったりしていたら、なんか気がおかしくなってきていた。音楽やファッションに関わることは好きすぎてできそうになかったのと、かろうじて「株式会社とITシステムの課金部分の構造を知りたい」という思いがあって、プログラミングの仕事を選んだ。こんな自分を受け入れてくれた最高の会社だったと思う。

義務教育を9年間通うのは当たり前で大多数であっても、チームやグループや組織に入って、そこで9年経験がある人というのは大多数ではない。義務教育とは違い「自分で選んだこと」にも関わらず、義務教育のように逃げられない強制されたことでなければ、もっと短期間で辞める人の方が多い。義務教育では出された宿題はやるのに、自分で日々の課題を見つけ前進させることを自らやる人は少ない。学校は宿題があってやるのが当然だったのに、会社で宿題を出したら時間外でパワハラらしい。なかなか理解しづらいバランスだけど、そう考えるとあの拘束の9年は大衆にとってはとても必要なものだったのだろう。大人になって自らやらなくて、もし義務教育もなかったら、なにもやらない人で溢れてしまう。

ただ、多分、僕にとっては「死にもの狂いで掴んだ、たった一つの絶望の淵」かもしれないけど、みんなにとっては「数ある選択の中のひとつ」や「常識の流れの中で偶然通りすがった場所」でしかなかったのだろう。見えてる景色やかける思いが違うんだと思う。僕はいつも必死だから、変に混ざって迷惑を掛けてはいけない。そこは人が作った世界で、僕が作った世界ではないから。

そんな日々を経て、試行錯誤して今日まで生きてきた僕の経歴は、中卒で、元バンドマンで、元ファッションブランドの個人事業主で、元システム開発会社のエンジニアで、その後買収されてスタートアップのベンチャーに転籍して一部上場した企業のエンジニア兼マネージャーで、起業して株式会社情景を設立し、一応会社のキャッシュで回したいから融資は受けたけど、出資は受けていないし売却も上場も目指していないので、スタートアップ風だけどスタートアップではない、Webサービスを開発、運営している会社を経営している。

結果的に、勤め先で得たスキルや経験した事が未来を変える糧にもなっているので、勤めた会社には心から感謝がある。転職は一度もしていないけど、偶然、売却や上場を経験したり、ずっと優しくしてくれた二人の社長に出会ったことは大きい。心から尊敬と憧れがあるけど、その憧れは、その世界に居ることではなく、小さくとも同じ様に自分で世界を作りたかった。だから、わかっていても期待通りに振る舞えず申し訳ない気持ちが沢山ある。

会社は、一応色んな人と一緒にやろうとはしたけど、今は同じ傘の下で一緒に活動している仲間は誰も居なくて、外部で関わるのも税理士事務所の方と問い合わせ対応をお願いしている方くらいで、経営も企画もデザインもプログラミングもサーバーもマーケティングも全て自分でやっている。フリーランスでチームを組んでいるとかですらない。こういう製造に関するスキルは、人と関わる事に比べたら大体なんとかなる。不安に感じるユーザーがいるかも知れないので一応言っておくと、内部のシステムは、技術的にもセキュリティ的にも一部上場企業レベル、またはそれ以上なので安心してほしい。むしろ、クオリティを最大限に突き詰めた結果が今の体制なのかも知れない。

ひとりでやっていると言っても、もう自分は強調性がないからひとりでいいとか、今はフリーランスの時代だからとか、そういう形の自由を望んでいたりとか、ひとりの方が優れたものができるとか、ひとりで生きられる方法みたいなのを見出したとかではなく、会社だけに限らず常にチームでやることを目指して試行錯誤し、結果的に夢を見続けることができなくしてしまったり、魅了し続けることができなかったり、支えになれなかったり、人の気持がわからなかったり、傷つけてしまったり、話を聞いてあげられなかったり、孤独を感じさせてしまったり、期待する環境を用意できなかったり、自分の責任範囲ではどうすることもできなかったり、必死で仲間と過ごす為に数々の失敗を重ねた結果が今であり、今も変わらずチームで何か生み出すことを目指してる。

複数人に拘るのは、寂しいのと自分ひとりでは到達しない可能性を望んでいるのだけど、多分、人生で自分を満足させるだけだったら簡単な気がしてしまうのと、もしかしたら、自分になにもないから、他者の力になることをやりたいことと定義してしまっているだけなのかもしれない。

実際、深い理由など無く本能的にというか単純にある程度の期間で物事を辞める人が多いというのはあると思う。本気で5年とかなにかを続けると、死ぬほど納得いかない事や死ぬほど辛い事は確実に起きるから。前例がないものを目指すのであれば、半年から1年くらいで必ずなにか起きる気がする。なので、ある意味、辞める方が自然で、続けるには思い浅く適当にやるか、不自然な思いというか意思みたいなものを持たないと続けないのかも知れない。時間の密度が濃かったり人数が多くなるとその確率は何乗にも膨れ上がるし、もちろん、やることの成功確率や難易度が上がれば上がる。

ただ、誰でも越えられるならみんな越えてるし、それならもうこの世にあるだろうし、だからそれは世の中には存在しなかったり、それを越えた先にしか見れない景色があったり、だから眩しかったりするのだろう。僕は、社内政治や意識操作に没頭し、人を言葉で操り思い通りに動かすことをスキルとして周りと戦い、自分の琴線に触れさせないことを配慮や礼儀と呼び常識と言って、お金を増やしお酒を飲んで愚痴をこぼして、人より勝った負けたの優越感や劣等感の中、休みが待ち遠しいような毎日ではなく、大好きな仲間と毎日遊び疲れて夢の話をして、生み出したもので出会えなかった不特定の人に幸せを与えて幸せを感じたり、人の思いやりや優しさを感じながら日々を過ごしたい。

その為には、週5日8時間以上働くこの時間を確実にどうにかしなければいけない。週末幸せだったら良いわけではない。僕は週2日生きてるんじゃなくて週7日生きてるから。あまりトップは向いてないけど、会社の場合は、自分がトップである限り自分が辞めなければ存続できる。全くリーダー肌ではないけど一番辞めない人ではあると思う。もちろん、目指すハードルを下げれば、もっと優しく出来たり、穏やかな空気を作ることも出来ただろう。ただ、その景色は、永遠には続かない。それは本当の優しさではない。上手くいかずに離れる事があっても会社が存在さえすれば、また、いつでも戻ってきたらいいしね。

聞こえてるよ、捨てたらその分、結果が得られるのは。知ってるよ、自分と自分の周りくらいなら、それで救えるのは。自分と自分の周りとかいう範囲の区切りなんて、自分がこの世に存在しなければ存在しなかった程度の区切りでしかない。その範囲を越えた不特定多数への発信でないと届かない人達が居る。

「不特定多数への発信」でいうと、遠い昔にすっきりしない形で止まっているのもあって、やっぱり一番よく言われるのは「また音楽やってほしい」なんだけど、自分も一番好きなだけに一番難しい。難しい理由は複数あるけど、元を辿ると理由は結構くだらなくて「自分がベースでカリスマ性のあるボーカルが居てメンバーは幼馴染」これがやりたかったことで、その時のメンツに自信があったんだ。多分、初めてメンバーが抜けた日、僕の夢と音楽を直接重ねる日々は終わってたんだと思う。大人にならないで友達とずっと一緒に居て、音楽で大きな収益を得て、自分のような人に手を伸ばせる人になりたかった。自分の拘りや創造性が大衆の心を掴むとはハナから思っていないので、本当のやりたい事は大金を手にしてからで良いと思っていた。

ただ、メンバーの実力や素養を把握し、実現する為にはどんなジャンルでどんなアプローチでどんな日々を送る必要があるかを考え、動いていたのは自分だけだったのかも知れない。もちろん、その当時のクオリティはひどいものだけど、今でも、あのメンバーでずっと一緒に居たら、なにか大きな成功を掴んでいたような気はする。ただ、大前提として続けないと夢は叶わない。

あと、その前後に親友や親友の家族の死が立て続けにあったりして、もう遠い昔の話だけど、あんまりそのあたりの日々を今も消化できてなくて、ぼーっと生きてる感じがある。若干その前後で性格も変わったように思う。多分、今後永遠にその現実を真に受ける事はできそうにもないし、向き合う気力もないような気がする。家に行って平常心で線香を上げて座ってられるような心の強さが自分にはあんまりなくて、なかなか何十年もたった今も心の折り合いが難しい時がある。また、生命に関わるほどの話ではなくとも、真剣に取り組んだ過去のバンドのメンバーやそのシーンに居た人や過去の職場の人や関係者などの人に会うと、冷静に居られない感覚がある。多分、全てに思いが深すぎて今も消化できていないのだろう。

バンドは最初のメンバーが抜けたりした後も、メンバーチェンジを重ねて、音源を出したりレコ発ツアーに周ったりもしてたけど、もうその辺りで結構限界だった。音源を出して雑誌にバンド紹介や広告を出したりしていると、インタビューの話とかも来たりするんだけど、もう話せる気がしなかった。最初に組んだ時に確信したような理想には、もう届く気配すらなかった。

活動する中で沢山のアーティストにも会ったし、憧れのバンドにも会ったり、バンドが休止した時には沢山のバンドに誘ってもらったけど、イメージできる体制は見つけられなかった。元々宅録は全パート自分で録音してるけど、最悪、ステージでも自分が歌ったりギターを弾いたりしてでも活動できればと考えた時期もあるし、その為にギターを練習したり、練習してて限界が見えたので利き手を入れ替えて左でも練習したりして、自分の能力と周りのアーティストでなんとか実現できる形を見出し、それで生活することを目指せる体制を考えたが難しかった。

あと、活動が止まった後に、すでにあるシーンに参加するのではなく「全く新しいことがしたい、バンドじゃなくシーンを創りたい」と思っていたことがハードルを大きく上げたと思う。そのスタンスでメディアに出たり、生活できるレベルに持っていくのは、僕の能力では難しかった。もしかしたら、生活するレベルでいうと、とくに難しいのはジャンルや技術やセンスよりも、そのハードルの中でも「ずっと一緒に居られる仲間を見つけること」のような気がする。どちらかだけでいいなら居るだろうし、多分、楽曲の限界より人間関係や、それぞれの人生の選択で終わったバンドがほとんどなんじゃないかな。

音楽は常にやりたい気持ちはあるけど、コピーバンドやクオリティを求めないバンドで楽しくやれたりはしないし、今の所、人、時間、資金、全てにおいて折り合いはついてない。それで生活することを目指しているわけではないなら、使える時間は限られているし、音楽活動にはお金があっても時間がなければ実現できない事が沢山ある。でも、なんか音楽だけは、論理ではなく本能的にずっと好きだな。楽器の練習をしている時だけは、嫌なことも全て忘れる。ただ、おそらく「圧倒的に好きすぎるから一番融通が利かない」という最大のデメリットを抱えているのだろう。ただ、今も変わらず、バンドのことは常に考えているし、ずっと練習し続けて曲も創り続けているので、まだ昔話にはなりそうにない。

そういえば、僕が活動している当時はSNSなんていう概念はなかったけど、昔好きだったバンドを思い出して調べていたら、最近は90年代のインディーズを漁っている若者みたいなのが一定層居るみたいで、僕の過去のバンドや音源を、当時生まれてもいないような人達が話題に上げてくれていて、ちょうど辛い時に見つけたのでとても元気をもらえた。ありがとう。

しかし、こんなに世間や常識にフィットしなくて、こんなに何もできないくせに、それをどうにかしようとストイックにやる気持ちだけある人なんて他に存在するのかなとよく不思議に思う。スペックは三流なのに、感じる違和感や思うことだけは一流の人みたいでどうにかならないもんかとよく思う。勉強もできないし身体能力も低いしコミュニケーションも下手だし、何かに自信があるわけじゃなくて、どうしてもできないことが沢山あって、どうにかしようとがんばっているだけだから。多分、いつもそれでもどうにかしようとする気迫で周りを疲れさせてしまっているのだろう。

実際、相手に過度な成果を求めなかったとしても、がんばっている他者が目に映ると悪気を感じたりしてしまう人は多い。それを緩和させる為に、目標設定や成功体験や失敗体験を意図的に用意して意識操作することをマネージメントだとは思ってないし、なにより一度でもそういうアプローチで人に対峙してしまうと、その信用を根っこから取り除く事はもうできないと思う。かといって、最低限の安定もない状況で育成への革新とかをやってる場合でもない。ただ、試行錯誤する日々を送りながらも、やっぱりゼロから世界を作りたいなら、どう考えても今のフェーズは越える必要があって、ぼんやりと今は仲間を探しつつも、この「気迫が必要なフェーズ」だけは、ひとりで越えて、土台を作るしかないような気がしている。安易に稼げても下請けの仕事では本質的に新しい世界を作ることはできないし、自分の手で人を守ることもできない。

ただ、ひとりになってからの時間はすでに結構過ぎていて、やっぱり人が関わる事は精神がかなりすり減ってしまい、一時はどうなることかと思ったけど、最近は少しだけ精神的にも収支的にも抜け出せそうな兆しが見えてきている。もしかしたら、あなたがこれを読んでいる頃、体制は変わっているかもしれない。どれだけ正しい情報かわからないけど、そもそも1年で半分近くの会社が潰れるとか言われていて、さらに創業メンバーが1年残っている会社はほぼないと言われているらしい。

人を抱えても余裕で越えられるくらいの能力があればよかったけど、理想はそんなに低くはないし、巻き込んでしまうのも申し訳ないし、悲しい思いをさせないように行動して、本当の目的の実現をおろそかにしていたらそれは本当の意味での優しさとは言えない。結果が出ればなんでもいいわけではないし、プロセスだけ充実しても意味がない。多分、能力や総力を越えた未来をどうしても実現したいなら、もう削る身は自分だけにした方が良い気がしている。自分が自分に死ぬまでやらせてもパワハラにはならないみたいだから。また、越えたらなにか見えるかも知れないし、越えられないのかも知れないけど、一緒に働くみんなに無理をさせなくて良い環境を用意したい。

ビジネスは今運営しているWebサービス1本で考えているわけではないけど、ITの一般顧客向けのサービスの成功確率なんて多分1%もなくて「ほぼ全て失敗している」と言っても過言ではないレベルだと思う。今年流行った日本製のITサービスより、今年売れた日本のアーティストの方がまだ言える気がするので、見る角度によっては難易度を上げてしまっているのかもしれない。そういう低い確率の事に全てを投げ出してやってみること以外、つまらなさやくだらなさを感じてしまうのかも知れないし、誰かがやっていることでは、自分がこの世に生きる意味を見失ってしまうのかもしれないし、結局そのレベルのハードルを越えないと「自由なんて得られない」という結論なのかもしれない。

もう能力も精神もないんだからやめとけばいいのにと思うけど、多分「ぜひやった方がいい向いてるタイプの人」がそれをやった結果が今ある世界だと思うので、今ある世界に苦しむ人に手を伸ばしたいなら、多分「向いてない誰か」が死にものぐるいで実現するしかないんだと思う。社長らしい社長、経営者らしい経営者、リーダーらしいリーダーでは実現できないサービスや組織があるように思う。それを実現しないと救えない人、行き場をなくす人がいるように思うんだ。

今の自分には良くも悪くも、この文章を見せて問題がないか確認する先や、なにを思われるか不安に思う先はひとつもない。今は自分が作った組織以外のどこにも属していないし、自分が生み出したサービス以外の受託の仕事もしていないし、その一部の製造をどこかに外注しているわけでもないので、どんな発言をしようが、どんな容姿で過ごそうが、なにを目指しなにを大切にしようが自由であり、法律以外の強いられるルールも上下関係も礼儀もなく、ゼロから何かを生み出せる場所に立っている。

自分が自分らしく実現しようとするから難しいんだけど、自分が自分らしいまま実現しないと意味がない。様々な正解をもって生きることで世界は素晴らしくなっていくのかと思うので、それぞれの正しさを掲げて生きれば良いと思うが、自分は行動が全てだとは思わないし、結果が全てだとも思わないし、成長は自己否定だとも思わないし、お金の量や勝ち負けや地位などを成功と定義して生きてるわけでもない。

多分、自分は「前例がないことや自分にしか生み出せないもの」とか「不特定多数への発信」とかに生きる意味や価値を感じていて、「表面上や口先だけではない本当の優しさや思いやり」みたいなものを考え、大切にしていて、あと「ズルいこと」が嫌いなんだと思う。知能をズルに使っていいなら、いくらでも結果は出せそうだしね。不器用なんじゃなくて、その方法で掴んでも意味がないんだ。

でも、優しさや思いやりみたいなものを突き詰めると、常に「悪かったのは全て自分」と自他共に思われるように徹底して行動するような気がするから、多分その人は「皆に愛され優しさや思いやりに溢れる人柄」には見えない気がするし、もしかしたら「常に一番の悪党」に見えるかも知れない。また、革新的なことばかりしていると大衆には常に「いつも見当違いな事をいう人」に見えるかもしれない。そういう人を見極められる人になれたらいいな。

なんとなく、この世界に、とても優しくて思いやりがあって天才的な頭脳と創造性を持つ人が居たとしたら、多分、その人の人生はとても辛く苦しい日々になってしまうんじゃないかと思うんだ。この世界は、そのスタンスで生きられる道を用意してはいないから。

なんとなく、40歳という人生の節目だったので、色々書いてみた。

多分、一部の人しかここまでたどり着いてないだろうな。40歳はもう来ないし、そんな何回も書く文章でもないし、細かく書かないなら書く意味もないし仕方ない。正直、また、なにかの組織に所属して自由に発言できない日が来てしまうかもしれないし、今後、ここに何か書く時があるのかも決めてないけど、この文章を書いても問題ないような毎日に戻れたことに、僕なりの小さい幸せを感じる。この景色を守りたい。続けることが大事。

多分、変わることより上乗せすることより、その途中で変わらず持っておくことの方が何倍も難しい。上手くいかないことがあっても、手を離しちゃいけない。置いてきちゃいけない。離れてる時があっても忘れちゃいけない。捨てたら実現しても意味がない。

「絶対にそういう人では実現できないことを、そういう人のまま実現すること」で、なにか変えられるんじゃないかなって思うんだ。

今は、そういう感じ。また、いいことあるかな。
悲しいことは多いけど、僕は僕のやれることをがんばるよ。色々あると思うけど、一緒にがんばろう。

こんな僕に関わってくれた人、みんなありがとう。ごめんね。

皆さんに素敵な日々が1日でも多く続きますように。
情報と感情で創る景色、株式会社情景、どうぞよろしく。

村井 勘彌

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です