#2 Webサービスはじめました

株式会社情景、代表の村井勘彌です。

今回は、株式会社情景で運営しているWebサービス「doukei(doukei.com)」について話そうと思う。

サービス説明そのものをする予定はないので、サービスは上記のリンクで確認して欲しい。

「就職」というのは大多数の人にとっては当たり前のことで、夢と仕事をバランス良く重ねられた人にとっては「新たな幕開けを感じさせる素敵な一幕」かもしれないが、一部の人にとっては「人生における大きな敗北」を意味し「死がよぎるくらいの絶望や精神的な苦しみ」を感じる程の事だったりする。

人生とは、生きる意味とは、生きる価値とは、「人」と「日々の過ごし方」と「お金」、多分これが全てだろう。要は「心から愛する人と、心から充実した日々を送り、心から満足する収入がある」、このバランスが幸福度なのかなと思う。死後に残る物と答える人が居るかも知れないが、死後に残る物を生み出すプロセスは今生きる日々の中にある。

要は、ひとりぼっちでやりたくないことを毎日やって1億あっても幸福度はマイナスだし、どれだけ愛する人や充実した毎日を過ごしていても生活する最低限のお金がないと幸福は感じられないし、たったひとりの愛する人と日々の苦労の中でも小さな幸せを感じ、生活できる最低限の収入があれば幸せで、その全てが高い水準で充実していれば宇宙にだって行けるのだろう。

自分は中学しか出ていないので、大多数の人が恐ろしいと感じるような人生を歩んでいるけど、正直、高校に行かないことよりも、皆が大学を卒業して就職している中、そこから本格的に特殊な人生を歩むことの方がよっぽど怖かった。数ある中から音楽をはじめに選んだわけだけど、そんなに音楽的な能力が高くない自分や仲間と収益を得る為には「平均年齢何歳というブランディング」と「実能力より斬新さやセンスで魅せるタイプのジャンル」と「それ中心の生活」が必須だと感じていた。

後先考えず一生突き進めるような根っからクレイジーな芸能気質なタイプの仲間ではなかったし、4年制の大学を現役で卒業する年齢くらいまでには最低限の結果を出す必要があると思っていた。もちろん、若くから活動すればするほど、そこまでの猶予期間は長くなる。

その「最低限の結果」とは具体的になにかというと、「20歳前後で20万前後の月収」というかなり現実的なものだった。

そう、悲しいけど思考の中心にあるのは、いつも「お金」だ。
子供心を持ったまま生きられる環境を作ろうとすればするほど大人の知識を得る必要があり、お金を意識したくないと思えば思うほどお金の知識を人一倍得る事になる。

「本当に好き」とは、お金を意識せず活動する人のことを言うのか、それで生計を立てようとする人のことをいうのかはわからないけど、自分は後者寄りだと思う。もちろん両面あるとは思うけど「生計を立てることを目指さない収益性の低い音楽」は別に10代や20代じゃなくとも、いつだってできるから。あと「やりたいことをやること」より「やりたくないことをやらないこと」の方が基本的に人生では難しい。やりたくないことをやらない為には、やりたいことを収益化する事が人生において必須となってしまう。

僕は、幼馴染の仲間と音楽で生計を立て、不特定多数の人が認知できるメディアに出て、幼少期の自分のような上手く生きられない人に手を伸ばしたかった。自慢だって言い訳だってしようと思えばできるだろうけど、自分の能力や努力でそれを実現することはできなかった。前例のない全く新しいことをやりたかったということも大きいけど、自分の場合、ひとりでやることや気の知れていない人とやることは就職するよりも辛いと感じていたことが、大きなボトルネックになっていた様に思う。

「それはひとりで歩めない、ひとりで戦えない弱さだ」と言われると、なにも異論はない。これは、ひとりで戦えない僕という人間の弱さだ。それが論理的に分解できて「営業力、強調性、管理力が低い」と思えるまでには、もう少し時間がかかった。

ちなみに、今の人には理解しづらいかもしれないけど、これはまだインターネットが普及していない時代の話なので、ここまでに登場したメディアとは「テレビと雑誌」この2つがほぼ全てだ。20代前半で初めてパソコンを手にして、新たなメディアとなるインターネットの自由さに魅了され、デザインやWebやプログラミングに触れて世界は変わった。もう一度、根っこから全ての価値基準を考え直す事になったと言っても過言ではない。

魅了されたのは「誰でも不特定多数に配信できること」ももちろんだが、それよりもこのインターネットというものが「組織や誰かが管理するもの」ではなく「オープンなもの」ということだろう。「テレビや雑誌」と違って、誰かやどこかに載せていただく必要も出させていただく必要も理解を得る必要もない。

結局、20代半ばまではバンドのメンバーを探しつつ、バイトでやっていた肉体労働の下請けを個人でやってみたり、パソコンでWebサイトや音楽やデザインを作ってみたり、個人で服のブランドをやってネットショップで販売したり、様々なバランスの中で成立させようと試行錯誤していた。ちなみに、FacebookやTwitterやInstagramなどSNSが浸透したのはそれから数年後で、YoutuberやTikTokが浸透したのはそこから10年以上先で、BASEなんかでネットショップが簡単に作れて個人でのD2Cのビジネスが常識化したり、フリーランスという言葉が一般化したり、クラウドファンディングや投げ銭の文化が浸透し始めたのは、もうここ数年の話だろう。

結局、最後は理想と自分の能力の間で精神的に追い詰められて就職を選ばざるを得ない形になっただけだけど、そのIT活性化の時代をIT起業の正社員として過ごし、そのまま普通になれたらよかったんだけど、やっぱり上手く出来なくて、起業している。働いている間にも世界や常識はどんどん変化し、見失いかけた未来が自分のスキルアップと思考の展開と時代の変化により、また繋がりはじめた。もはや今は自由どころかITサービスが法律の前を歩いていると言っても過言ではない。

ただ、逆に言うと根っこの自分自身は、それでもなにも変わらなかったとも言えるだろう。

もう物心ついたときから、ずっと考えている。生きる意味とは価値とは、学校とは、就職とは、会社とは、お金とは、売れるとは、稼ぐとは、ビジネスとは、責任とは、常識とは、正しさとは、優しさとは、思いやりとは、この毎日は一体なんなんだって。

その中で、このサービスを作るに至った経験が大きく4つある。

1つ目は、表現し続けたい自分と、それを見続けたい人数百人程度では、その場所を守り続けることはできなかったということ

2つ目は、自分好みの音楽はフリーターの収入で買えても、同じセンスで選ぶ服や画家の絵は到底手が出せない価格であったということ

3つ目は、夢を追うことに比べて自由こそないが、会社員として働く事はフリーターの何倍も簡単で心と時間とお金の余裕があるということ

4つ目は、お金を生む為には、営業力と強調性と管理力の3つが必須で、他が長けていてもそれが欠落していると成立しないということ

あえて5つ目を言うとしたら「その現実に対して、どうしても納得ができなかった」ということだと思う。

もしかしたら、このサービスの実現が自分の過去に対する最大の言い訳なのかもしれない。世の中に絶望しても「創る」という選択肢だけは一応残されているみたいだ。そもそも、今あるものだって今ある常識だってだれかが作ったものだろう。

そもそも需要と供給は成立していたのかもしれない。ツアーに全箇所来てくれて同じCDを毎回何枚も買ってくれるお客さんも居たけど、僕はなんだか申し訳なくなって買ってもらうのを止めてしまった。今一番欲しいものは何かと聞かれたので冗談抜きで活動の為のお金だと答えたら、次のライブで大金を持ってきてくれたお客さんも居た。なぜ受け取らなかったと言われるとはっきりとは答えられないけど、受け取ることはできなかったし、受け取るべきでもなかったと思う。

正社員になって、正直これまで自由にやってきたツケが周ってくるのだろうと思っていたが全くそんなことはなかった。もちろん、周りの方の力あってのことだけど、フリーターの頃に想像していた何倍も楽な気持ちで時間もお金もあり、その状況になるともっと仕事を頑張って貰った以上の結果を返そうと思うし、プライベートで使うお金に関しても「Youtubeで聞ける音楽だけど活動を続けてほしいから音源を買っておこうかな」というような気持ちになったもりする。ずっとジュース1本を買うことすら迷うような人生だったので、この生活を一度しないとこの感覚には気付かなかったように思う。

就職さえすれば、ほぼ当たり前の様にもらえる月20万円程のお金が、バンド活動で得ようと思うと多少テレビに出るくらいまで上り詰めないと実現しない。結局それをビジネスとして成立させる為に賢く折り合いをつけた結果が、高額の絵画やハイブランドの設定する価格やブランディングや、その定義によって生み出した常識なんじゃないかと思う。最近は、ライブ後にファンと有料の写真撮影などをするみたいだけど、それも何度も並んで写真より支援を目的とする人が居るようで、結局CDの大量購入と同様の違和感が残る。

この「違和感」は「間違っている」という意味ではなく、思いは動いているのに成立させる仕組みや常識が足りていない気がするという「違和感」だろう。

ただ、一方で会社員になってからフリーターの自分は舐めていたと感じる部分もある。会社に入ると、物を売るためには営業やマーケティング専門の部隊があり「やりたいことかどうか」なんてことを言ってる余裕はないほど「どうすれば売れるか」の一点集中で朝から晩まで試行錯誤の上で行動している人達が居る。細かく数値管理し、積極的に外部との関わりを持ち、内部の人をマネージメントして、製造に対する思い入れと同等か、それ以上に「売ること」に思考を巡らせている。そこで下げたくない頭を下げる格好悪さと共に、下げたくない頭を下げる格好良さも目の当たりにした様に思う。実際、奇抜なアーティストの鏡のようなピカソはビジネスの天才だったという話がある。

要は、他が長けていて熱狂的な支持者が居ても、営業力が低く、強調性が低く、管理力がないから食べていけない。そういうことなんだろう。ただのいい人では成立しない。あと何か集中的に常識を逸脱して長けている人は、基本的に「営業力が低く、強調性が低く、管理力がない」ようにも思う。だから、会社や事務所が存在するんだって言って終わりたい所だけど、事務所に所属できる時点である程度、強調性はあるように思う。だったら、そういう世界だ仕方ないと思いたいが、それでは困る。僕はそういう繊細で不器用なアーティストが大好きだから。

僕もみんなと同じ世界の上で生まれ育ったけど、気付いたらどこにも所属していないバンドのデモテープや自主制作のCDばかり聞いていた。周囲の音楽好きも皆同様にマイナーバンドに魅了されていたように思う。幼少期の頃からなので、特別な拘りや考えを持って選んでいたわけでもなく本能的に魅了されていたから、多分僕は根っからそういう人の熱狂的支持者なんだろう。あの粗さと攻撃性と純粋さと夢と絶望が交錯したようなヒリヒリした音と言葉が大好きだ。こんな過酷な環境の中、なんとか僕の耳まで届いてくれて、生き死にや苦しみや孤独を歌い叫び、常識を逸脱する独特の世界観を持つアーティストに、僕は命を救われたから。

基本的に売れるというのは多数の指示を集めるということになるが、もちろん多数決と優秀は関係ないし、優秀と言われる人は上位5%くらいなので、その優秀な人達に愛される物を作れば作るほど全体の支持率が下がるという矛盾が起き、価格で差を付けたり何かしら特別な要素がない限り成立しなくなる。そして、そこが改善されない状況が続いてしまう原因は「当人も周囲もその改善に没頭するような人になる事を望んでいない」という点にあると思う。むしろ純粋にやっている姿が好きだから。

ただ、それだと「そんな人を目指していない、そんな人になってほしくない、そんな人の傘下に入ってほしくない、でもそれでは成立しない、辞めてしまった、会えなくなった」みたいな、どうも悲しい状況が続いてしまう。

要は、表現者目線で自責的に考えると「営業力が低く、強調性が低く、管理力がない」が原因だけど、無理やり環境目線で自責的に考えると「物販とは別途、少数でも活動を支えられる方法が用意されていて、支持される人と支持する人以外の交流や強調性が不要で、お金の管理が簡単」そういう環境が存在しない事が原因で、これを成立させるプラットフォームが用意できれば、その人達が変わらなくても成立させられるのかもしれない。不得意な部分は出来るだけシステムが代わりにやればいい。

良し悪しの前に存在しないことが気になる点で、まずは存在させることに意味がある。また、最初に構想していた頃は、まさか世界がこんなことになるとは思ってもいなかったけど、コロナの影響を見て、よりそういう基盤の必要性を感じ、準備していた事業の優先順位を変更してリリースを早めた。

もちろん、世界の誰も思いつかないなんてことはないので、近しい発想でサービスを始めた人は居るだろうし、失敗もあっただろう。存在しない理由は、おそらくシンプルに採算が合わない事と、利益が得られなくても続けるようなお人好しは居ないという事と、仮にそんなお人好しな人や企業があったとしても実現する技術と経験を持っている可能性は低いという事だと思う。実際、法律の面で見ても技術の面で見ても、お人好しだけで簡単に実現し、維持し続けられる類のサービスではない。もちろん、趣味ではないのでビジネスとしても成立させるつもりでやっているし、すでにある程度運営した上で、最低限成立したのでこの文章を書いている。

そもそもの発想や仕様が異なるというのもあるかもしれないが、自分には大きく他を圧倒できる要素がいくつかある。1つ目はそもそも思いが乗っているので収益のみを考えてやっているわけではないし、無責任な意味での「仕事」としてやっているわけではないということ。2つ目は、僕がセルフプロデュースでバンド活動をしてた経験と個人でアパレルブランドのD2Cをしていた経験とシステム開発会社でM&Aされた経験とスタートアップの企業で一部上場した経験があり、その全ての世界を自分なりの視点で必死で考え抜いて見てきた知見とプロとしてのプログラミングとサーバー構築の技術を持ち、その経験と技術とセンスを駆使して頑張れば、自社サービスのデザインやマーケティングくらいはなんとかできそうで、それに目が覚めている時間の全てを掛ける覚悟は出来ているということ。

多分このあたりがひとりの人に共存しているケースは、かなり稀なように思う。この全ての要素を使えば、サービスを圧倒的にコストをかけることなく構築でき、圧倒的にフットワーク軽く速く改良し続けることができる。

おすすめしたようになってしまうのも問題があるので、一応言っておくと、この類のことをしようと思うなら多分やめておいた方がいい。スキルがないならもちろんやめておいた方がいいし、仮にそれだけのスキルや外注する費用があるなら、こんな事さえしなければ圧倒的に稼げる方法が山程あるから。

仮に全て内部の人間で実現できたとしても広告費だけは技術力で無くす事はできないので、これだけはシンプルに家が買えるくらいのコストを覚悟する必要がある。ただ、もしこの全てを越える思いがあるというなら友達になりたい。

最後に、経営目線でもユーザー目線でも「なぜよくあるクラウドファンディングや投げ銭サービスのように、利用料ではなく支援額からの手数料にしないのか」と聞かれる事がよくあるので、これも説明しておこうと思う。これには大きく3つ理由がある。

1つ目は、支援のお金からサービスが手数料を取って良い根拠はビジネス的にはあっても、そのお金に乗った思いとしては許される行為ではないということ

2つ目は、ライブハウスや店舗のように環境は表現者側が用意すべきで、本気でない人が平気で混ざらないように最低限のハードルは設ける必要があるということ

3つ目は、ライブハウスのノルマのようにそのハードルを自ら飲めば、誰もが平等に場所を利用することが可能であるということ

正直、支援額からの手数料がサービスを飛躍させる糧となるなら、広く使っていただくことより、どうすれば支援者の多い有名人の方に利用していただくかが考える核となってしまう。それは、サービスを提供する側が儲かる仕組みではあっても、僕が実現したい世界でも、僕が解決したい問題でもない。世界を変えるんだ。

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数が多くなくとも熱狂的な支持者がいれば成立して良いはず

doukei https://doukei.com/

あの人らしく活動してほしい、頻繁なリリースはなくても良い、​時間がかかっても、最終的にアウトプットにたどり着かなかったとしても、その過程や、活動そのもの、生き方や人生そのものをずっと見ていたい、存在そのものに救われる、上手く活動できない期間も応援したい、納得が行くまで妥協しないでほしい、ずっとそのままで居てほしい、夢を追っていてほしい、それでも生きていてほしい、そんな心の支えになるような大切な人はいませんか。

「doukei」は、そういう思いを実現するために作られました。

「数」より『質』で「物」より『人』に支援する時代
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基本的には、どなたでも使える無料プロフィールサイトなので、もしよろしければご登録、およびSNSでの共有などしていただけるとうれしいです。

あと、支援を受けつける機能もまずは無料で試せるので、なにかしらの活動をされている方は、ぜひ一度お試しください。やってみないとわからないし、もしかしたら気付いていないだけで熱狂的な支持者がいるかもしれません。

今後は、より機械が肩代わりしてくれて、労働の必要性も販売の必要性も下がってくるから、物販中心ではなく思いを中心にお金が動く時代がくるような気がするんだ。

皆さんに素敵な日々が1日でも多く続きますように。
情報と感情で創る景色、株式会社情景、どうぞよろしく。

村井 勘彌

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